地上の洞窟

どこにも行かず、液晶と「にらめっこ」し続ける人の物語。

「力むこと」はきっと罪深い

自分は不安定な人間だ。

ある時はその道を極めたプロのように、神がかり的な能力を発揮するが、
ある時は見るに堪えないような、素人かよと嘆きたくなるような最悪な状態が続いたりする。

こういう不安定さがあるから、「自分は強い」と言い切ることはできない。
いや、実際にはそう言う時もあるが、それはその時だけの話であって、
絶対的といった感じではない。

「レーティング」という概念がある。
複数の人が戦い合って、勝った方はレートという点数を得て、負けた方は失う。
そうすることによって、その人の強さ・評価を数値化して知ることができる。

こういった例で分かりやすいのは、将棋の「藤井聡太」であろう。
将棋の中の「タイトル戦」、所謂大会のようなものを、8つある内の7つを制覇し、
あと1つも制覇寸前という所であり、現在、最強の棋士であることは確実だ。

彼の強さはレーティングにもはっきりと表れている。
プロ棋士は普通の人からみれば、圧倒的に将棋が強い人だが、
プロ同士を比較した場合、強い弱いという差は確実に出てしまう。

藤井聡太はそのプロの中でも強い方の棋士に対して、
圧倒的な勝率を誇り、レートでもぶっちぎりの差を付けている。
強い人に安定して勝ち続ける、あらゆる局面でミスしないからこその「数字に表れる強さ」だ。

それに対して自分はどうだろう。いや比べることさえおこがましい事だろうが。
自分はどれだけ勝ち確定な局面であっても、平然とミスして当たり前のように負ける。
いやそんなの普通だよ、と言われそうだが、勝負の世界では、尋常であってはならないのだ。

自分は下手だ。はっきり言って弱い。素人だ。
せいぜい「数字に表れない強さがある」とかいって強がることぐらいしかできない。

一体何が?何がそんなに下手で悩み嘆いているのか?といわれると全部である。
自分は何をやっても不安定だし、真に強いと言える領域には辿り着けていない。
給与があるなしとか、有名であるかそうでないかとか差し置いて、
真にプロフェッショナルである、という領域にはたどり着いていない。

その理由はごまんとあるだろうが、
今回は自分が「力み過ぎ」ということについて語ろうと思う。(前置きなげぇよ)

自分は緊張する場面で力み過ぎる。
力み過ぎて手が震える。その割には、意志は行動に反映されず、
結果的に何もせず何も成せなかったように見える、ということがある。

それはなぜか?そもそも緊張して硬直している状態は、
精神的圧力に敗北しかけている状態だと個人的には思う。
そんな状態で勝ちが見える訳がないと言われたら、まぁその通りですはいという感じだ。

そしてもう一つ、自分の中で「力が入っている」という状態は、
「実際に何かを動かせる状態じゃない」ということだ。

例えば腕に力を入れて、力こぶを作ったとする。その状態は物凄く力を入れていると思う。
しかし、その状態自体で何かを成せるだろうか?その力に見合う結果が得られるだろうか?
実際には何も起こらないし、ただ、腕がプルプルしながら固定された状態、になると思う。

要はそれは、「緊張して硬直している状態」と大体同じだ。
裏を返せば、緊張して硬直してしまった場合、
敵の目の前で力こぶを作って見せつけるとかいう、意味不明な状況と大して変わらない。

こういう自分自身に力が入っているという状態は、
実際には体を動かさずに安定させようとする力、と言えると思う。
物を運んでいる時の腕とかは、力が入っていて固定され、安定していると思う。

一方で、単に動かすだけであれば力は意外と入らない。
入れない方が、結果的には対象に対して大きな力が入る。
力むことが、自分の行動を安定させようと、止めようとする力だから。

要するに、緊張して力んでいる状態では、意志は反映されないし結果は出せない。
出来るだけ力を抜いた状態で体を動かす。それでいて精密で無駄な動きが無いことが
「洗練されている」ということなのだろうというのが、今の自分の仮説だ。

安定して結果を出そうと思っているのに、
力んだら動きが固定され「安定し過ぎて」結果が出ないなんて、皮肉だ…